日記 > 日本編 > 香奈子 熊野古道を行く > 9月11日(金) 熊野古道・伊勢路(5) 中辺路(1)

〜獅子岩〜花の窟神社・産田神社〜熊野速玉神社〜熊野本宮大社〜大日峠〜湯の峰温泉







        大斎原…日本最大の大鳥居をくぐる
5時過ぎにぼんやり起きる…
部屋の窓から…ずっと夜が明けるのを見ていた
日本書紀が書かれた時代から…変わらず…日は昇って来たんだなぁ

朝風呂に入り、支度を整え、荷物を持って食堂へ

7時15分から朝食バイキング…のため、写真はなし
地元のさんま寿司とか、お茶粥とか頂きました

宿の方の
「駅まで、車でお送りします」
と言って下さるのを丁寧にお断りし
7時45分…宿を出発
朝の空気は、気持ちいい

丘の上のかんぽの宿から、てくてく海の方へ
急な坂道…行きは車で送ってもらって正解だった

七里御浜に出る

海岸沿いを歩く…
まずは、世界遺産に登録されている高さ25mの獅子岩へ
約1400万年前に海底のマグマが冷えて出来たとか

     
それから…とても惹かれていた花の窟神社へ

七里御浜沿い、緑深い森の中に…それはありました


花の窟

神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が
火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、
灼かれて亡くなった後に葬られた御陵だそうです

日本書記には
「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に
灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ
 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる
土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには
花の時に花を以って祭る
又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあります

年2回、例大祭を行い、神々に舞を奉納し、
日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を
岩窟上45メートル程の高さの御神体から
境内南隅の松の御神木にわたします
この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われているそうです


     
花窟神社御神体                   伊弉冊尊(イザナミノミコト)

高さ約70メートルの巨岩が花窟の御神体なのです


軻遇突智尊(カグツチノミコト)と王子ノ窟

高さ12メートル程の岩に軻遇突智尊の神霊を祀り、
軻遇突智尊が伊弉冉尊の御子であることに依拠して、王子ノ窟(聖ノ窟)と呼ばれています

本当に神秘的な岩でした

とても柔らかな空気を吸い込んだ後
古道に戻り、有井駅をめざす

途中、熊野市民族資料館があり、その前の看板に
伊弉冊尊(イザナミノミコト)が、軻遇突智尊(カグツチノミコト)を生んだ
と言われている神社があることを知り
電車の時間には、まだ時間があるので、古道から外れ訪ねることにする

     
産田神社

弥生時代からある神社で
埋蔵土器が多く出土しているそうです

しかし…火の神を生んだんですから…伊弉冊尊(イザナミノミコト)さんも大変だったでしょうね。。。

あとから知ったのですが、この神社にも大岩があり、その岩が
伊弉諾尊(イザナキノミコト)が、伊弉冊尊(イザナミノミコト)との約束を破り
身体中に膿がわき、蛆がたかっているその妻の姿を見てしまったため、
怒った伊弉冊尊(イザナミノミコト)や8人の女神に追いかけられたという「日本書紀」の有名な話の
黄泉の国のへの入り口と伝えられてるのですって

残念ながら、その大岩を見てこなかった…
見たかったなぁ〜黄泉の国の入り口の大岩。。。

そんな昔に思いを馳せながら…のどかな里道を歩きます
     
                          みかんも、このとおり…実っています

可愛い有井駅

9時53分の電車に乗って、新宮駅に向かいます
いよいよ熊野三山へ
まずは、熊野速玉大社です

有井駅から新宮駅までは、6駅…
この間にも、沢山峠があるのだけれど、今回は…電車で通過
また来る楽しみにとっておきましょう

よく寝たはずなのに…なんだか眠い。。。
うとうと…してしまう

電車は…海沿いに走っています
キラキラ光って…綺麗だこと

10時23分新宮駅に到着…ここからは和歌山県です

観光案内所で、熊野本宮大社へ行くバスの時間を確認してから
歩いて熊野速玉大社へ


新宮・熊野速玉大社

熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮

今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、
熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から
現在の鎮座地にお遷りになり、
これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したとこと

中世熊野信仰の興隆にともない、
皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、
過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、
滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく
熊野街道は賑わいました



     
                          樹齢800年というご神木の梛(なぎ)の巨木
                          「なぎ」は、凪に通じ、
                          海上安全、家内安全の信仰を集めている


熊野速玉大社参詣曼荼羅

熊野比丘尼(びくに)と呼ばれた女性たちにより、曼荼羅は庶民層・女性や子供にも絵解きされ
熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるに至ったそうです

神宝館に入る…国宝級がずらり
もう…ひゃ〜って感じ
つくづく歴史を感じる

     
バスに乗る前に、ちょっと一息
ううう…旨い!!!

11時53分 権現前から、熊野本宮大社に行くバスに乗る
約一時間のバスの旅

新宮駅から乗ってきた、やはりリュックを背負った若い女性が一人、
一番後ろの席に座っている

運転手さんのすぐ後ろの席に座る
私の格好を見て、
「歩くの…」
はい!!!
本宮からのハイキングの資料をくれた
いい人だぁ〜

バスは動き出し、熊野川沿いを上ってゆく
バスの中から、熊野川沿いの観光

川の向こう側には、川端街道
貴族たちは船に乗ったが、庶民は川岸の岩壁を削った荒々しい崖縁の道を恐る恐る歩いたという
渡し場の跡も沢山…残っている

不思議なことに気づく
この運転手さん…運転中に
何度も、何度も…帽子をとってお辞儀をするのだ
最初は、すれ違うバスなどに挨拶しているのかなぁ〜と思ったんだけど
どうも…違う
トンネルに入る時とか…なんでもないところとかでも…お辞儀をする
丁寧に…礼儀正しく

ふっと…思った
この人…見えているのだ。。。
さすが…熊野
いろいろな人がいる

12時50分 熊野本宮大社に到着
本宮をめざして、急な階段を登っていると
突然、大型バスから大勢のツアー客が押し寄せてきた

「なんだぁ〜この階段は…」とか、ガヤガヤ…ぶつぶつうるさい
突然、巣鴨に来たかと錯覚するくらい
神聖な空気とかが、一瞬に消えた


熊野本宮大社

崇神天皇六十五年…*大斎原(旧社)において、
大きな櫟(いちい)の木に
三体の月が降りてきたのを不思議に思い
「天高くにあるはずの月がどうしてこの様な低いところに
降りてこられたのですか」と尋ねましたところ
その真ん中にある月が答えて曰く、
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚大神)であり
両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である
社殿を創って齋き祀れ」との神勅がくだされ
社殿が造営されたのが始まりととう神話があるそうです


     

ツアーの一団がいなくなると…ホント静かになった
気を取り直して…お参り

階段を下り、観光案内所を探す
立派な和歌山県世界遺産センターの中にあり、今宵の宿を紹介してもらうため
この近くに、どうしても行きたい温泉があるのだ

湯の峰温泉で一人で泊まれる民宿…
案内所の人が電話をかけてくれる

1軒…2軒…駄目なようだ
3軒目…どうやら大丈夫そう

こういう時は直接電話するより…こういうところを通した方が…いいのだ
やった!!! 泊まれる

「バスの時間は…」
いいです…歩きますから
「えっ…歩くんですか…結構歩きますよ」
大丈夫です…

歩くための地図とか、頂いて…お礼を言って…センターを出た

やっと…お昼ごはん
うどんを食べる…写真なし…(お腹ぺこぺこだったのよ)

さて…越えるのは大日峠
伊勢路でなく…中辺路と呼ばれる道
でも、まずは*大斎原(おおゆのはら)へ


今は…水も少ない熊野川

明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は
熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と
呼ばれる中洲にあったそうです

 大斎原には12の社殿やいくつかの境内摂末社、
神楽殿や能舞台などがあり、現在の本宮大社の8倍の規模を誇っていました

 いつの時代から大斎原に社殿を構えるようになったのかはわからないそうですが
明治22年まで社殿が水害で流されるなどということはおそらくなかったそうです

 社殿が流されるほど大水害を引き起こした原因は、
熊野川上流の十津川での明治に入ってからの急激な森林伐採だといわれています

 紀伊半島南部を襲った大雨が十津川の森林伐採後の山々で山津波を引き起こし、
その土砂が川をせき止め、天然のダムを作り、
そのダムが水を貯えた後に絶えかねて決壊
下流域を押し流し、十津川の村々に壊滅的な打撃を与えながら、
濁流となった熊野川は本宮大斎原の社殿をも呑み込みました
社殿のほとんどが流出し、森林破壊の怖さを見せ付けた形になったそうです

なお、その時の大洪水で被災した上流の十津川村集落の住民の一部が
移住した先で開墾したのが北海道の新十津川村だそうです


鳥居に続く道


鳥居の向こうにある…大斎原



日本一の大鳥居

その向こうに広がっていた大斎原は、なんとも神秘的なところでした
背中がぞくぞくして
写真が撮れないほど…でした


大斎原を抜けて…いよいよ大日峠へ
中世からの道だけあって

     
     どんな思いで踏みしめたのでしょう

この峠越えには、月見ヶ丘神社や鼻欠地蔵などの見所もありました

大斎原からの背中のぞくぞくが止まらず…足を速めました
ので…写真はありません

今までの峠越えで、疲れた身体
峠を登り始め、ぐったりしても…神社やお地蔵様に手を合わせると
少し気持ちが落ち着き、また歩き出せるから…不思議です

里に下りると、咲き始めた彼岸花が出迎えてくれました


着いたのは、湯の峰温泉

1800年前に発見されたという日本最古の温泉…湯の峰温泉
93℃の源泉が自噴し、その泉質の良さから
歌舞伎・小栗判官など、蘇生物語など多くの伝説が残されています


つぼ湯は、入浴温泉としては唯一の世界遺産に登録されています

     
     もちろん…入って
     生き返ってきました☆

温泉も民宿のお料理も言うことなし!!!
しっかり生き返った感じです

他にお泊りのお客さんたちとおしゃべりして、
楽しい夜…

     
     
     

素材は、地元で取れたものばかり
はす芋の説明をしてくれた女将さん

大変美味しゅうございました!!!

ビールと共に頂き、もう気分は最高!!!

もう…ぐっすりです

明日は、いよいよ熊野三山最後の大社
熊野那智大社をめざします

本日…26147歩


↑ ページの上部へ

メニュー

 《海外編》
  ・パリ日記
  ・イタリアンな一週間
  ・何故かボルネオ?!日記
  ・おパリの休日
 《日本編》
  ・福島の旅
  ・修行の旅???
    香奈子 熊野古道を行く
   はじめに
    なぜ熊野???
   9月6日(日)
    まずは、伊勢神宮から
   9月7日(月)
    熊野古道・伊勢路(1)
   9月8日(火)
    熊野古道・伊勢路(2)
   9月9日(水)
    熊野古道・伊勢路(3)
   9月10日(木)
    熊野古道・伊勢路(4)
   9月11日(金)
    熊野古道
     伊勢路(5) 中辺路(1)
   9月12日(土)
    熊野古道・中辺路(2)
   9月13日(日)
    熊野古道 クールダウン中
   9月14日(月)
    熊野古道と新幹線
   終わりに
    旅を終えて

  ・旅公演の合間に

メニュー(外部)